ボブ・マーリーのドレッド

「ドレッドヘアといえば誰?」と尋ねれば、ボブ・マーリーと答える人はかなり多いのではないでしょうか?今回はボブのドレッド特集です。
ボブ・マーリーとは
ボブ・マーリー(Bob Marley)、本名はロバート・ネスタ・マーリー(Robert Nesta Marley)。
ジャマイカ出身のシンガー・ギタリスト・ソングライター。伝説的レゲエミュージシャンであり、その音楽はもちろん、ラスタ思想やドレッドが世界中に広がるキッカケともなった人物です。
その影響力の大きさから、ジャマイカで暗殺されかけたこともあります。
また、代表曲のひとつである「No woman no cry」の本当の作者はボブ自身であるが、クレジットは友人であるヴィンセント・フォード(Vincent Ford)とし、印税を贈ることによって彼の運営するスープキッチン(ジャマイカの貧困者に食料を提供する場所)の活動を助けようとした…という説があります。
1981年に脳腫瘍で他界したものの、彼の音楽や思想に影響を受ける人々は現在も後を絶ちません。
※ボブ・マーリー公式サイト・・・http://www.bobmarley.com/
ボブ・マーリーのドレッドヘアについて
ボブ・マーリーのドレッドヘア、作り方はフリーフォーム(※)による自作です。
ボリュームがあり、色は黒。長さや太さはまばらで、地毛がアフロであるため毛先が丸くなっています。
デビュー時から時間を追っていくと、徐々に髪(アフロヘア)がドレッド化していく過程を見ることができます。(ちなみに管理人のドレッド化例は「フリーフォームで普通の髪の毛がドレッド化する過程」参照)
※ドレッドヘアの作り方のひとつ。髪を清潔に保ちつつブラッシングをやめることにより、自然に髪をドレッド化させる方法。どんな髪質でも可能。詳しいやり方は「ドレッドヘアの作り方フリーフォーム」参照。
1973年(世界デビュー時)
ジャマイカでの活動を経て世界デビューを飾った1973年当時。
フリーフォームドレッド初期です。ドレッドになる前の緩い束が頭全体にできつつありますが、見た目は普通のアフロに近い印象です。
1975年
全ての髪がドレッド化した状態です。
数本の細いドレッドが連結(コンゴ)し、太くなりつつあるのが分かります。
全体的に短めであるためか、若々しい印象があります。
1977年
より長くなり、全体的にコンゴが進んでより太くなっていますが、細いものもチラホラみられます。
ボリュームがあり、フリーフォーム特有の太さ・長さがバラバラな仕上がりが、より野性的な印象を強くしています。
1980年
生前最後のツアー時。
ボブはセパレートはしない主義だったようで、さらにコンゴが進み、かなり太くなっているものも見られます。
神がかった雰囲気になっています。
ちなみに
ちなみにボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズは、世界デビュー時の1973年、スライ&ザ・ファミリーストーンのツアーで前座に抜擢されたものの、たった数回の公演で解雇されました。
その理由は、ボブ達の演奏があまりに素晴らしく、観衆の注目を引きすぎたから…ということです。
むすび
ボブ・マーリーといえば、何十年もの間ドレッドにしていたかのような、威厳と貫禄みなぎるイメージを持っている人は多いのではないでしょうか?
しかし、ボブ・マーリーがフリーフォームでドレッドの自作をはじめたのが73年、亡くなったのが81年…ということで、実際のところドレッド期間は10年もありません。
にもかかわらず、その姿が説得力に満ちているのは、人間性の重みがなせるワザなのではないか…と管理人は思います。